あわてない、驚かない、失敗しないための『転職成功術』

再就職は、ビジネスマンの必須科目になる。だからその準備をしておこう。

時間給 マネジメントの難しさ

時間給で働くということを考えてみる。

働く時間で収入が決まる働き方だから、必要条件は
作業が明確に整理され、かつ難易度が平準化されていること。
そしてスタッフの能力、スキルがほぼ一定していることが条件になる。
 
なぜなら、能力があまりにバラバラだと、同じ量の仕事なら、能力の高いスタッフが早く終了し、
逆に収入が減るという逆転現象が起こるからだ。
従って、作業の難易度を明確にし、同じ量を同じ時間で終了されるような仕事でなければ、この制度は適切ではない。
 
例えば、小売店の販売員は一定時間、顧客の対応や品出し、発注などをおこなう。
同じ時間帯であれば、それほど販売額の差はつかないはずだ。
しかし、実際にはその差が大きいことがある。
販売額だけで評価すると、多額の販売をしたスタッフが評価されることになる。
しかし販売員の作業内容は、発注、清掃、陳列など雑務も多い。
時間も当然かかる。
しかし売上に結びつかないからといって、これをうまく避け、販売だけに集中しようとするスタッフがいたら、
これは不公平になる。
だから通常は交代でそうした間接業務の負担を適正に配分する。
 
そして、一定の期間が過ぎると、それぞれのスタッフの適性能力が明確になり、それがスタッフ間でも共有されるようになれば、
専門的にそれをやってもらうことで、効率アップを図る。
その成長が著しければ、時間給の変更もあり得るだろう。
 
しかし、作業が分解できず、公平に配分できない仕事もある。
例えば、難しい顧客なり、扱い商品なりを担当し、単価も異なる場合に、
そう簡単には担当を変更することができない。
そうした場合は、スタッフの評価は難しくなる。どのように差をつけるかは、マネジャーのスキルや力量に掛かってくる。
 
この場合でも、現場から叩き上げの管理者なら、ある程度把握ができているので、
その適性や価値評価が可能だ。これをマニュアル化しつつ
いかに改善していくのかを模索していく。
そうすると、改善の過程で、思わぬアイデアやプランを出してくるスタッフが現れる。
仕事の内容が変化してくると、必要なスキルが同じように変わってくる典型だ。
すると、従来の評価が通用しなくなる。
これは経営的な視点でそれらをリードできる管理職が必要になる。
管理者を教育する、視野を広げる教育が必要になるのだ。
 
このような変化があることを前提に、スタッフの評価を図らねばならにことを理解すれば
管理者の配置は極めて重要になる。
 
大変そうだから。
夜遅くまでやっているから。
といった共感ももちろん必要だが、
その仕事は改善できないのか、必要なのか、といった点で接しなければスタッフは成長しない。
 
人は仕事を通して成長する。
 
これは一つの真実であり、スタッフをマネジメントする側にとては重要なミッションだと思う。

再就職支援会社がやっている、『再就職活動のあらましを理解する』講座、やります

14年、その仕事をやっていたので、ある程度の基本プログラムは知っているし、

経験などから、独自の工夫もしている。

多くの人が再就職や自分のキャリア、求人市場について誤解したり勘違いしたり、心配していることもある程度わかる。

 

再就職支援ビジネスは、

大企業の大量リストラ施策のなかにある、割増退職金などと並ぶ有料(企業にとって)のオプションとして位置づけられているから、そのサービスを受けられるのは大企業の社員がほとんどだ。

裏返して言えば、中小企業の社員や、非正規の方。もちろん、自己都合で退職を予定しているとか、すでに会社を辞めた方には、縁もゆかりもないサービスということになる。

だからあまり世の中に知られていないし、その性格からしてサービスを提供している側でも広報や宣伝などはほとんどしていない。営業が活動するのは、業績不振の業界で、サービスを利用する可能性がある企業の、人事、経営陣などごく一部の方に対してだけ。そこで、サービス紹介、コンサルなどを行っているのだ。

 

しかし、リストラという、比較的短期間で退職の決断をしなければならないようなタイプのリストラは山場を越えたにしても、社内リストラとか、肝心の自分がそう感じる個人の『思い込み、主観的リストラ』は、まだ続いているし、実はもっと大きく広がるのではないかと思っている。

これの追い風になっているのは、IT&OA化だったり、グローバル化による海外からの人材の流入だったり、人間の高齢化・寿命の伸びだったりする。

普通に考えても、仕事をより合理化効率化するために、いろいろな技術が開発され導入されているのだから、人が機械に変わるスピードは加速するだろう。だから会社に常時所属する、いわゆる正社員のような人は少なくなるはずだ。すでに工場では、数名で動かしている大工場というのがいくつもある。効率化が遅れている、生産性が低いという評価がされているホワイトカラー領域でも、それは一層加速している。

そしてそれによって人間がすべき仕事や作業は変質するから、それに適応したり、追いつけなくなった社員は必然的に居場所がなくなる。おそらくそれは、好奇心や記憶力や体力などが衰え始めるミドル世代以降の世代になるだろう。

 

非正規雇用が全体の4割を超えた。

派遣ビジネスは拡大し、人材紹介会社はますます若手の優秀な人材にむけてサービスをシフトしている。また組織内でも役職定年は定着したし、人材流動化という名目で大企業から成長企業(=中小企業)への雇用調整は政府の指針にもなっている。ワンワーク・ワンペイという、仕事が同じなら、雇用形態に関係なく賃金は同じにすべきだ、という議論にしても、明確に仕事の境界線を引くことは難しいだろうが、低い賃金に合わせていくのが普通だろう。それが、合理化・効率化であり、企業はそれを追求する組織なのだから。そしてすでに先頭を切って合理化やインフラが整備している大手企業では、それに能力的にも賃金的にもマッチしない層は、活躍できる場が用意できないので、まだ未整備でいろいろなことをやらなくてはならない中小企業で、汗を流して働きなさい、ということになるだろう。

 

こういう実際に起きている社会現象の中で、『自分は大丈夫』と言える人が、どの程度いるのだろう。

素晴らしく能力が高い、逆にそういうことを考えることから逃避する、あるいはそウいうことすらも感じない、自分には関係ないという考えの持ち主を除けば、もうそれほど存在しないのではないか、というのが普通だ。数年前の『WORK SHIFT』に続いて、『LIFE SHIFT』という、これからの長い人生をいかに生き残るか、あるいは生き生きと生き抜くか、といった本がベストセラーになっていることからも関心は低くはないだろう。5割、6割はそういった不安なり予測なりをしている人は存在するのではないか?

もちろん、これらは、明日からとか数週間という短期の話ではない。しかし、歳をとるにつて時間の経過は早く感じるようになる。これを加味して考えれば、数年先は、『すぐの話』に位置付けていいかもしれない。

企業もしごともパッと変わることは少ない。しかし、これからはその可能性はある。昔の広告のキャッチコピーに、『時代なんて、ぱっと変わる』という名作があったが、それもありだ。賛成反対入り乱れているが、2040年頃に予測されているシンギュラリティなどがそうだ。これはAIが人間の仕事を劇的に代行できるようになる大転換期の出現を予言している。

 

だから、大災害に備えて水や食料を備えるのよりは、もう少し可能性が高いリスク対策として、自分のキャリアや生き方をよく考えて、この先の自分のあり方や環境の変化を予測したりシミュレーションしたりしておくのも無駄ではないと思うのだ。

 

再就職支援サービスという特殊なサービスを、コモデティに。

再就職支援サービスは、不景気になると必要性が高まり、好景気になると影をひそめるという、ビジネスの成長自体があまりありがたくない、『縁起でもない』ものだ。だからと言ってそのサービスの必要性が、ビジネス規模と同じように大きくなったり小さくなったりするようなものではなく、いままで述べたように、ますます必要性が出てくるものだと思っている。もちろん、その内容はどんどん変わっていくだろう。

しかし変わるのはそうしたサービスプログラムだけではなく、それを利用する個人も同じように変わる。変わらなくてはならないし、嫌でも変わることを余儀なくされるだろう。

いまわれわれが提供してきた再就職支援サービスは、『いままで』と、『いま』に焦点を当てプログラムを集中してきたように思う。キャリアという言葉自体が『馬車の轍(わだち)』が語源だから、それは当然だ。しかし、人間って、目標・目的がないと、なかなか行動が定まらない。だから無駄もおおくなる。それに、締め切りという時間の区切りがないと、To Doリストの上位には置かないから、いつも下の方に記された『いつかはやりたい、やるべき』ことは、ずーっと、そのままそこに残されたままだ。もっともリストに載らないよりは、はるかにいいが。

われわれが考えるのは、いままでの自分を振り返り、そしていまの自分の気持ちや希望や社会的な価値を考えるのは当然必要だが、今日、そして明日といったこれからの道しるべを、ある程度はっきりさせていくことがなければ、自分を変えられないのではないか?変える必要がそもそもあるのか?という質問があるかもしれないが、それは言葉の綾で、変わるも何も明日からの自分は、最初から今日の自分とは変わっていくものだから、嫌でも変わるのだ。そしてその変わり方を、成り行きだけで受け止めるのか。それともある程度、いまの自分が希望する方向へ多少なりとも働きかけるのか、の違いだ。この違いは大きいと思う。初めて歩く道や夜道は、とても長く感じたり不安があるが、一度そこを通過していれば、当たり前の時間と距離でしか感じられないということがある。それならゆったりとした気分で、風景などを楽しみながら、あるいはいろいろな思いを巡らしながらゆったりと歩くことができるだろう。人生の場合は、簡単に言えばシミュレーション、予測をしておけば、その場になってバタバタとすることはない。その瞬間に考えるにはとても時間が短すぎるが、前もって考える時間を持っておけば、十分なものが確保できるのだ。

いままでも、そういうスタンスに気がつき、自分の先々のことを真剣に考え始めた人は数多いし、逆にいままでの自分というものが虚構の中の存在にすぎなかったとを知り、愕然とした人もいる。それが鈍いとか愚かというのではなく、そういう中に住んできたことを知ったことだけでも意義がある。その時期が、いまか、さきだったかくらいの違いだ。

 

最終支援サービスは、早期退職者向けのオプションで、個人に負担はかからないが、企業が負担しているという意味で有料だ。90年代は、上位管理職者だったり数が少なかったり、社会的にも再就職の社会インフラも揃っていなかったりで、一人当たり200万円くらいのこすとを企業が負担していた。恐らくいまは60万円を切っていると思われる。1/3位に下がったといってもやはり大金である。

そのサービスを、設備やテキストナオのコストを省いて、提供しようと思う。

しかしこれは再就職を成功させるためのノウハウだけではない。

なぜ働いているのか、働くのか。本当にそれが自分の楽しいものなのか、やりがいを感じているものなのか、といった、ちょっと心を打つようなテーマを混ぜて、考えてみようという試みでもある。

それに賛同いただけるのであれば、聴講生、オブザーバーとして喜んで迎えたい。

 

※関心のある方は、

 フォローしてください。

 

 

 

衆知を集める⇒経営、プロジェクト、ボランティア・・・

産経新聞でまた“番頭の時代”シリーズが始まった。第五部、関西から攻める、だ。

ここで松下電器が取り上げられている。

何かと、ソニーと、どん底からの復活という点で取り上げられることが多いが、この機記事を読んでななるほどと思った。

それはグループ戦略会議の運営だ。

松下幸之助の時代には高橋荒太郎という大番頭がいた。

しかし、関連会社が480社、従業員が約25万人という大組織になったいま、それを望むのはかなり難しいというのは、経営の素人でも容易に想像がつく。

その代わりに松下で考え出されたのが、グループ戦略会議で、2週間に一度の割合で、国内・海外で開催されているという。

この構成員は、津賀一宏社長をはじめとするトップ経営陣と、4つの社内カンパニー社長で総勢10人程度。ここは戦略の議論をし、決定する場になっているという。かつここでの議事録は役人に公開され、共有されている。

目指すのは、衆知を集めて決め、実行する、ということに尽きる。トップの独裁ではなく、議論とそれに基づく決定と、迅速な行動。

これがまさしく、組織の相乗効果といえるのではないか?

身近なところでも、本当にこれが議論を尽くした結論なのか、と首をかしげる方針ができることがある。それは正しいのかもしれないが、自分がコミットしていないと、ついそう感じてしまうのが、人間の性なのかもしれない。しかし組織ではそれは物理的にも無理で、情報や課題の共有だけで、相当な時間がかかる。そうした無駄をなくすには、信頼と役割分担が必要だが、それは組織が人間の集団であり、かつ同じ事業目標に向って働いている同志という中でのものだということを、理解していないと難しい。

そうした信頼を形成し、継続させ強化していくのは何かというと、それは議論や決定に至る経緯の共有あったり、どのようなデータや情報に基づいたものなのか、といった基本がなされているか、というところに尽きるかもしれない。

というのは、ちかごろ、それらがないがしろになっているケースもあるからだ。

それは組織が固定化し、組織で物事を動かす力の方が、本来サービスを強化するという力より、弱体しているからかもしれない。ピーターの法則が、話題に上がるようになっているとしたら、ちょっと危険かもしれない。それは無駄というより、マイナス、害となるからだ。

 

場所からイメージを創り上げていく

作家の吉田修一さんのインタビューにあった言葉だ。

首位jんこうやぷろっとがあって場所を選ぶのがふつうらしいけど、僕の場合はまず場所があるんです。場所が決まればそこに登場する人物も決まってくる。

この言葉になるほどと思った。

確かに場所は昔からある。時にはあたらしい建物があったり、事件や事故があったり。そんなに特別じゃなくてもいい。雨の日があったり、風の日があったりして、その日の風景が、驚くくらいに感動的に初めて見たようなものだったり、ありふれた ものだったりしても。場所はそこにある。場所が人を育てることだってあるし、舞台装置登場人物の性格や思想を決めることだってある。これは舞台のことだが。

だから自分を先に考えるより、時には場所、環境、時代っていうことから考えるのも有効のような気がする。

ともすると自分が考えたり思いついたりしたことでシャカリキに自分だけ興奮したり、動き回ったりしていることがある。そんな時は決まって空回りしたりすることも多い。

まず場所があるのだったら、場所を観察して自分というキャラクターを設計して、設計してみよう。役者としても自分は天才でもない限り 全く自分以外になれることなどないと考えれば、ぶれることだってない。

むしろそれは効果的に場に馴染み、目的に近づくことになるのではないか。

 

 

自分から考えるのではなく、場所から考えイメージを広げる。

面白い事に気付いた。

自己理解と現実調整

転職活動を考えるときに必ずアドバイスを受けるのは、まず自分のキャリアの棚卸しをした方がいい、ということだ。

これなどはカウンセリングの場面で実際に何度もクライエントに言ってきたことだ。自分で経験してきたことだから、自分が一番よく知っている。これは間違いない。自分で思い出さなければ、誰もわからないのだから、当然だ。ただそれを一人でまとめることができるか、というとそれはかなり難しい。記憶というのは自分の理屈というか基準で記録され、正確さやロジカルさほど備えてはいない。だから他人にそれを正確に伝えるには不十分ということが多い。

そこで頼りになるのがカウンセラーある。


第三者からのアドバイスは、耳に痛い部分もあるが、それをアドバイスと捉えることができれば、実際の目標を立てたり応募活動をする上で実に役に立つ。実践的な予行演習になるからだ。これが実際に自分だけで、キャリアをまとめ、応募を続けて、それがうまくいけば効率もいいし、時間もかからないが、うまくいかない場合の反省は独りよがりということに尽きる。

第三者の目に晒されないキャリアこそ、裸の王様のようなものだからだ。

PDSとかPCDAを回すというのは、実は再就職活動にも当てはまるのだ。

自分で立てた仮説は、まず一眼に晒し、思い込みや確信が適正かどうかを確認する。その上で修正したものが初めてプランになるのだ。


現実調整とはまさにそうした行為を伴う。それを避けると本番で大きな失敗につながるリスクを覚悟しなければならないだろう。


転職市場を理解すると言うことの意味。

地図を持たずに山に上ることはないし、天気予報を聞かずに、予定をたてることもない。転職活動、就職活動も同じだ。

まず市場を知るということは、自分が希望する仕事、企業の状況、山脈という周辺の状況を知らなければアプローチもできない。

これを知っておいた方がいい、という人と、そんなことは関係ないという人がいる。

知らなくてもいい人は、まるで山登りをする時に地図も、天気予報も聞かずに上ろうと言う人のように感じる。

ましてやガイドがそうであれば、命取りになる。

人材ビジネスは、目まぐるしく変化する産業界が動きの」軋轢のなかで存在するビジネスだ。従って、活動する転職者もそれをサポートするスタッフもこうした情報をキャッチし、ベターな判断ができるようにして織田方がいいのは間違いない。なぜなら起業こそがそうした真っ只中にいて、そうした状況を理解し、的確な戦術や立案は行動計画をたて、活動できる人間を必要としているからだ。

だが、現実は、毎日目の前の同じ作業に終止し、外に目を向けていないのが実情だ、

 

3月8日 

4年。

手がしびれ、頭の左側が痛いらしい。

そして時々、記憶が飛ぶ。同じことをなんどもくりかえしきくのだが、自分では聞いたことすら覚えていないという症状。

引退した先輩カウンセラーに似た症状だ。